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東京高等裁判所 昭和42年(ネ)1705号 判決

控訴人

福井秀政

代理人

瀬内禮作

被控訴人

全逓信労働組合

右代表者

宝樹文彦

代理人

小谷野三郎

外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実〈省略〉

理由

一当事者間に争いのない事実は、原判決事実摘示二の1ないし7に記載のとおりである。

二労働組合は、その組合員が組合活動のために損失を蒙つた場合、これを補償することがあるが、かような場合、組合員が当該労働組合の規約その他の定めをまつまでもなく当然に補償を受ける権利を有するものと考えるべき根拠はない。このことは、労働組合員の統制権に基づく指令にあり、一部の組合員がいわゆる部分ストを行い、そのため当該組合員が使用者の処分により他の組合員に比して特別なる不利益を受けたような場合であつても同じであつて、このような一部組合員の不利益を補償することが、組合員平等の原則上、労働組合の本来的義務であるとする控訴人主張は肯認できない。

しかしながら、組織の大きな労働組合では、組合員が組合活動のために蒙つた損失をできる限り補償することにより、組合員間に統一、連帯の意識を確立するとともに、組合員をして安んじて組合活動ができるようにし、もつて団結の維持強化を図るという趣旨のもとに、いわゆる犠牲者救済制度なるものを設けていることが多く、その補償支給の限度、方法等は当該労働組合の財政その他の事情によつて定めるところに委ねられている。この制度のもとでは、組合員は、補償に充てられる救済資金の積立義務を負い、損失を受けた組合員は右資金から補償を受ける権利を有するわけであつて、その資金は、共済基金の性質を帯有する。以上は弁論の全趣旨から認められるところであり、また、一般に知られているところでもある。

尤も、右制度における組合員の権利、義務は、その制度の趣旨からいつて、当該団結体の構成員、すなわち、組合員たる地位に基づくものと解されるから、組合員の地位を失つた後には本来、その者には右の権利、義務はない筈のものである。

従つて、組合員が組合活動により昇給延伸というような在職中の全期間に亘つてついて回る不利益を受けた場合であつても組合員の地位を失つたときは、当然には、右制度による補償を受け得るものといえないこと勿論であつて、これに反する控訴人の主張は理由がない。

三右のような犠牲者救済制度は被控訴人においても設けられている。すなわち、その規約第五八条は犠牲者救済制度を設ける旨定めた上、その運用を規定その他の機関決定に委ね(原判決添付別紙(A)―以下原判決添付別紙(A)ないし(I)―を単に「別紙(A)」というようにいう―及び成立に争いのない甲第一号証)、規定はその運用の大綱を定めるほか、運用の細目を決議機関によつて制度改廃する細則に委ねているのであつて(規定第八条第三〇条等。別紙(B)、(C)及び前掲甲第一号証)、被控訴人の組合員はこれらの規約、規定、細則の定めるところによつて権利を得、義務を負うものである。これらの定めのうち、規定第一六条、第一七条は救済資金を全組合員から徴収することにして、右制度が組合員の共済的制度の面を有することを示しているが、このことは、控訴人の主張するように組合員の地位を失つた後にもなお右救済資金から補償を受け得るものとする根拠になるものとは考えられない。

そこで進んで、本件に関係のある昇給延伸についての定めを見るに、

(一)  その36年改訂の前後によつては、規定第八条第二号(別紙(B)、(C))の趣旨に変化があるものとは認められない。「補償」、「立替金」の用語の差も、それ自体では右規定に基づいて支給される金員の返還の要否に意味を有しないものと認められる。ところで、右規定第八条第二号は、昇給延伸に対する「補償」又は「立替金支給」による救済を「組合員としての資格を有する間」行なう旨定めており、これは前記二のような犠牲者救済制度の趣旨に基づくものと認められる。換言すれば、その定めは、組合員としての資格を失つたとき以降については右の救済を行なわないとする趣旨を当然内包しているものと見るべきである。控訴人は右の「組合員としての資格を有する間」なる文言を「郵政職員としての資格を有する間」ということの同義異語の表現であると主張するが、そのように解すべき合理的根拠はない。三十六年改訂前の細則(別紙(E)、(F)、(G)))に返戻規定の定めがないこと及び当事者間に争いがないように細則上返戻規定が定められた三十六年改訂の以前には被控訴人の組合員なる地位を離れた者で規定ないし細則に基づいて一旦支給を受けた補償金の返還を被控訴人から求められた者がないことも、いまだ以上の判断を左右するに足らない。してみれば、昇給延伸に対して補償金の前渡しを受けた組合員が、その後組合員の地位を失つたため、組合在藉期間に対する補償金相当分を超過する金員すなわち、組合員の地位喪失時以降に対する補償金相当分の支給を受けていることになつたときは、他に特段の定めのない限り、右超過分は保有し得ないものとしてこれを組合に返還すべきであることが、規定第八条第二号の解釈上、導き出せるところと解される。

(二)  控訴人が本件で支給を受けた補償金のうち昭和三三年一二月一五日及び昭和三四年七月二〇日の各支給分が三十四年改訂前の細則第一五条(別紙(E)、成立に争いのない甲第四号証)に基づくものであることは、その支給時期と細則改訂の経過に照らして明らかであり、また、昭和三五年一〇月七日の支給分が細則の三十五年改訂(別紙(G)、成立に争いのない甲第五号証)に基づく精算支給であることは当事者間に争いがない。右三十四年改訂前の細則と三十五年改訂細則の各一五条を比較すると、三十四年改訂前細則では五年毎に所定金額を五倍した金額を五年分として前渡しするものとしているのに対し、三十五年改訂細則では当該組合員が当初の延伸時より六〇歳に達する迄の年数(支給年数或いは基礎年数)に対して同条の別表に定められた一定金額を一時金として一括前渡しすることにしている。そして、弁論の全趣旨と前出甲第一号証によると、右三十五年改訂細則第一五条の別表の定める一定金額は、中間利息控除の関係と考えられるが、支給年数の増大に伴つて、年度当りの金額が逓減していることが認められる。従つて、このような補償金の支給方法と支給金額、その算出方式の相違の故に、前記の昭和三五年一〇月七日の精算支給がなされたものと認められるわけであるから、これによれば、控訴人が支給を受けた全金額は右の精算支給後はすべて三十五年改訂細則に基づく一括前渡金の性質を有するに至つたものと認められる。

(三)  三十六年改訂(別紙(H)、成立に争いのない甲第六号証)により、三十五年改訂細則第一五条について、新らたに、脱退、除名、特別組合員、その他支給の理由が消滅した場合を返戻事由とする同条(六)の返戻規定が設けられたのであるが、その他の補償金の性格、支給方法、支給金額算出方式等の点で変更がなかつたことは右細則上これを認めることができる(前掲甲第五、六号証。三十六年改訂細則では従前の「補償金」なる語に対して「立替金」なる語を用いているが、趣旨に変更はないものと認められる)。そして、原本の存在とその成立に争いのない乙第一号証と弁論の全趣旨によれば、右の返戻規定が定められたのは、当時、従前なかつた補償金受給者の被控訴人からの脱退等の事実が相次いで起つたので、組合員としての資格を有する間その損失を補償する旨定める規定第八条第二号の趣旨からいえば、このような者に右事実発生時以降に対する補償金相当分を保有させておく理由も必要もないから、これを返還させるべきであるとして、定められたものであることが認められる。これらのことと前記(一)で規定第八条第二号の解釈として示したところによれば、三十六年改訂細則第一五条(六)の返戻規定は、当時の客観状勢上、規定第八条第二号の趣旨を具体的にその運用細目で示しておく必要から定められたものであり、その旨の明文はないけれども、当時既に三十五年改訂細則に基づいて一括前渡補償金の支給を受けていた者に対し、脱退等のため所定の返戻事由が発生した場合には、その返戻事由発生時以降に対する補償金相当分について、当然これを適用するとする趣旨で定められたものと認めるのが相当である。右返戻規定のこのような適用を認めることは、犠牲者救済制度の本来の趣旨や規定第八条第二号の定めからすれば右三十六年改訂前の受給者において予想し得なかつたところであつたなどとは到底いえないのであり、また、右改訂前後の補償金の性格、金額等に変化のないことに照らしても、公平に合致するところと考えられるから、この観点からも肯定することができる。以上の判断に反する控訴人の主張は採用できない。

ところで、右返戻規定の定めるところによれば、その所定の返戻事由発生迄の年数を支給年数から差引いた年数(以下、残余年数と称す)と支給年数との比率による割合を返戻すべきものとされているから、支給金額に支給年数を分母とし、残余年数を分子とする分数を乗じて得た金額が残余年数に対する補償金相当分として返戻金額となる。尤も、三十五年改訂の細則第一五条の別表に定める一時金としての一括前渡金は、前記のように中間利息を控除していると考えられるから、残余年数に対する補償金相当分の算定に当つては、右の中間利息控除の点を考慮に入れて計算することが、より正確ではあるが、このような困難な計算を返戻事由発生の都度行なうことの煩雑であることは明らかである。従つて、右返戻規定では、残余年数に対する補償金相当分を一律、簡単に算出できるように前記のような計算方式を定めたものと解されるであつて、その計算方式は一概にこれを不合理なものということはできない。

(四)  右返戻規定は前記のとおり返戻事由として説退、除名、その他を挙げている。控訴人が被控訴人の組合員としての資格を失つたのが脱退によるか除名によるかは争いがあるが、そのいずれであるかによつて右返戻規定を控訴人に適用することに支障を生ずるものとは認められない。この点について、控訴人は、控訴人の組合員資格喪失は脱退によるものであるとの主張の下に、右返戻規定は脱退を返戻事由とする部分において脱退の自由を侵害するものであつて公序良俗に反し無効であると主張するが、その主張は採用できない。すなわち、労働組合からの組合員の脱退は、原則として自由であるべきであつて、脱退に対して特別な制約を設けることは、規約その他の機関決議によるものであつても、許さるべきことではない。しかし、本件返戻規定は脱退自体を制約するものではなく、ただ脱退する者は昇給延伸の補償として支給を受け一括前渡金のうち脱退時以降に対する補償金相当分を返還する債務を被控訴人に対して負担する旨定めるにすぎない。そして、右補償金支給の根拠たる犠牲者救済制度の趣旨からしても、また、右趣旨に基づくものとしての本件の場合の規定第八条第二号の解釈からしても、組合員たる地位を失つた者は、本来、その失つた時以降については補償を受ける権利を有せず、従つて右時点に対する補償金相当分の支給を受けているときは、これを保有し得ないものとして、返還すベきものと解することはその組合員の地位喪失が脱退による場合であつても、脱退の自由に対して特別な制約を認めることにはならない。従つて、本件返戻規定において脱退者が負担すべきものとされる債務は、もともとその支給を受ける権利のない補償金相当分についての返還債務であるということができる。そうであれば、右返戻規定の定めをもつて脱退の自由に対し特別な制約を付したものであるなどというべきものではない。尤も、この場合に返還すべき補償金相当分の算定については、より正確な計算方法が考えられることは前記のとおりであり、その方法によれば、右返戻規定の定める計算方式による算出額より少額になること明らかであるが、このことは、次の事情によれば、すなわち、右返戻規定の計算方式をもつて一概に不合理なものといえないこと前記のとおりである上、このような計算方式が定められたのが特別に脱退を防止する意図のもとになされたものと認めるに足る資料はなく、かつ、その計算方式は前記のようなその他の返戻事由にも共通なものとされていること等によれば、右返戻規定をもつて脱退に対し特別な制約を付したものと認めるに値するものではない。なお、右返戻規定は、脱退を返戻事由とするに当り、退職、死亡の場合(控訴人の場合がこれに当らないこと明らかである)を除いているが(別紙(H)、退職、死亡の結果としての脱退とその後も企業内にとどまる脱退とでは、同じく脱退といつても性質を異にするから、その取り扱いを異にしても不合理とはいえないし、抑々、組合員をして安んじて団結体の一員として行動できるようにさせ、もつて団結の維持、強化を図るという犠牲者救済制度の趣旨からすれば寧ろ当然の措置であると解されるので、上記の判断を左右するに足らない。更に、四十年改訂において三十六年改訂細則による返戻制度が廃止されたことも、それは被控訴人主張のとおりの理由によるものであることが認められるから(別紙(D))、これ亦上記の判断の妨げとはならない。

四以上の二及び三に説示したところを前記一の争いのない事実中原判決事実摘示二の1ないし6六に該当する事実に照らせば、三十六年改訂細則第一五条(六)は控訴人に適用があり、被控訴人の第一次請求で主張のとおり、控訴人は、その支給を受けた補償金のうち金一七万二八九七円及びこれに対する昭和三八年九月二日以降その完済迄年五分の場合による損害金を支払う義務がある。

五控訴人は本件補償金支給は不法原因給付であるから、被控訴人がその返還を求めることは許されない旨主張する。しかし、たとい控訴人の昇給延伸の理由となつた組合活動が公共企業体等労働関係法第一七条に違反するとしても、その組合活動を理由になされた昇給延伸なる処分による損失について、これを補償する趣旨でなされた本件補償金支給は、社会の倫理観念に照らして、民法七〇八条にいわゆる「不法な原因」によるものとは認めるに足らないから、控訴人の前記主張は採用できない。

六更に、控訴人は被控訴人に対する損害賠償債権による相殺を主張するが、控訴人が本件昇給延伸の理由となつた組合活動としての争議行為に控訴人主張の如く、被控訴人により強制的に加坦せしめられたと認めるに足る証拠はない。却つて、当時控訴人は、被控訴人組合の中央執行委員として右争議行為の企画、指導に当つたものであつて、控訴人が右争議行為に被控訴人により強制的に加坦せしめられたというような関係にはなかつたことが控訴人本人の当審供述によつて認められるのであるから、これに反する前提に立つ控訴人の前記主張は採用の限りではない。

七右の次第であるから、被控訴人の本件第一次請求を認容し、これに仮執行宣言を付した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。よつて、民訴法三八四条、九五条、八九条により主文のとおり判決する。(岸上康夫 横地恒夫 田中永司)

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